龍馬は行ったことが無いけんど北海道函館に龍馬が居るぜよ!龍馬にとって蝦夷地開拓は宿願、 それが今では よさこい踊りも北海道が本場と思う人が結構居る ブロンズ像 台座とも堂々たる6m 作者山崎和国 画像 北海道坂本龍馬記念館提供 |
龍馬が初めて江戸に出てきて2ケ月後黒船を今の東京品川区立会川で見たのが龍馬20才の時と言う若い龍馬像は 桂浜の龍馬像の修復時の銅を溶かし込み制作した銅像 画像は土佐史談会 Y氏提供 |
高知県アンテナショップ 丸ごと高知の玄関に居る 身長1.77m FRP製 ブロンズ色で本物の銅像みたいに見える |
龍馬は立ち中岡慎太郎は弟分のように座ったのは身長が20cmばー違う為このポーズが良かった とのことで龍馬の像は2.8m、土佐山田出身の川本直水氏が私費で菊池一雄氏に依頼した銅像 |
京都市東山区霊山墓地 二人の墓もこの一段上にある 上の円山公園の銅像の原型で高知県立 龍馬記念館にもある龍馬の身長は85cm |
京都市伏見区 龍馬・お龍、愛の旅路像
|
京都市中京区土佐稲荷神社(岬神社) | 京都市伏見区寺田屋庭園 |
この場所は江戸時代に土佐藩の敷地じゃったがです 総高1.5m身長55cmの可愛らしい石膏像平成元年設置 |
寺田屋騒動の舞台じゃった寺田屋庭園の像 京都高知県人会会長川本直水他寺田屋保存会が 寄贈 総高1.9m 龍馬の身長0.7m |
土佐四天王 左から吉村虎太郎、武市半平太、 龍馬だけ立ち姿(龍馬像は1.5m)右端が中岡慎太郎 |
京都市嵐山天龍寺内松巌寺墓地内(関係者以外立入禁止) | |
広島県福山市にある龍馬観音 長崎にある龍馬の石像と同じく かなり頭でっかち?? いろは丸事件の折 龍馬がここの 観音様に海難審判の勝利を祈願 したと伝えられ龍馬が指差す沖合の 方角にいろは丸が沈没したとのこと |
ここにどうして龍馬像が? 江戸に2回 長州に1回往復しただけ 平成元年琴平バスが(四国お祭り村)を開設時目玉をと言うことだけで 設置し現在は ほとんどは忘れられた存在、横に見える61もの灯篭は すべて土佐の商売人が琴平参拝を祈願したものが残っちょります、、 |
刀をかついだ龍馬像 脱藩を急いで行くにはこれがえいと言う制作理由でこの形になった とのことで 右に案内役の那須俊平左に澤村惣之丞と言う面々平成10年福岡の彫刻家吉塚隆一制作 本体2.35mFRP製ながら1000万を超える制作費 画像は大洲市役所河辺支所地域振興課より |
長崎県上五島には鹿児島に行く池内蔵太などが乗ったワイル・ウエフ号が暴風雨に遭い座礁した事件があり (潮谷騒動)知らせを聞きつけた龍馬がこの地に駆けつけたと言う。手を合わせる龍馬像は2010年5月と ここも新しい龍馬像ぜよ、製作者は当代屈指の銅像作家 山崎和国氏台座共4.6mあるがです、写真は 新上五島町 観光物産課より |
2010年サッカーワールドカップを国立競技場で見守った龍馬像は勝海舟と龍馬が長崎に初めて 踏み入れた場所 その島原に日本サッカー協会アディダスジャパン(株)から寄贈されちょります、 高さ10mの堂々たる龍馬像、 画像は島原復興アリーナさんよりもらいました |
最初設置予定じゃった円山公園の自治会から龍馬は丸山には遊びに来ただけと反対され除幕式も延期し 急遽ここに設置されちょります、現代の名工山崎和国作 台座碑文は作家 宮地佐一郎(高知出身) |
NHK大河ドラマ龍馬伝の影響でやっぱり設置をとの声で龍馬が遊びに来たと言われる 現在は円山公園に平成21年11月除幕式 銅像製作者は小崎侃氏 |
NHK大河ドラマの撮影とかで盛り上がり龍馬とお龍が霧島に船出したと言われる いづろ交差点に設置しちょります、銅像は現存写真を参考にしたとのことですけんど、、 なんとも言えん表情で土佐弁で言う所の たっすい男に見えるぜよ、画像は鹿児島県在土佐高校出身熊澤氏より |
鹿児島市天保山町新婚の旅碑 | 鹿児島市塩浸温泉 龍馬お龍新婚湯冶碑 |
日本最初の新婚旅行と言われちょります 昭和55年 中村晋也制作 龍馬身長1.2m |
左の像を見た牧園町史談会会員の努力で設置日展会員 楠本香代子制作 身長1.86m平成元年 制作費1.400万円 |
宿毛の偉大な彫塑家本山白雲作・大正の終わり高知県の青年たちの提唱で昭和3年完成・ほんで昭和58年には 街頭募金と多方面からの寄付金で修復 太平洋 室戸岬の中岡慎太郎銅像の方角に懐に手を入れ立てりゆう |