特定非営利活動法人 板垣会理事長 中地英彰 板垣死すとも自由死せず」の名言を残した板垣退助伯が、大正8(1919)年没して後、その功績を 称えようと銅像建設運動が澎湃(ほうはい)として起こり、大正12(1923)年、高知城追手門内に 板垣銅像が建設された。この運動を機に「財団法人板垣伯銅像建設同志会」が認可され、今日の 板垣会の基が出来た。 戦時中、敗戦の色濃くなるや、銅像は供出され、誕生地・高野寺に建設された板垣会館も空襲によって 全焼した。にもかかわらず、建設同志会は保存、さらに財団法人板垣会と改称して存続し、戦後も会の 目的を板垣伯の「遺徳を顕彰し自由民権思想の拡充徹底に務め民主的文化国家実現に寄与する」と改めて 活動を続けた。 この後、板垣会のシンボルとしての銅像は、昭和31(1956)年に再建を果たした。自由民権を叫ぶ雄姿は 今日に至るまで人々の心に強く訴え続けているが、年月を経て損傷が甚だしいものとなったため、本会は団体 ・個人の浄財を募って修復の上、平成2(1990)年、これを高知県に寄贈した。 また、本会は、高知インター近くの板垣山に眠る板垣伯一族の墓地の清掃、整備に努め、命日の7月 16日には毎年、高野寺で法事を主催している。 平成20(2008)年、公益法人に関する法改正が行われ、基本財産が200万円以下の板垣会は 解散に向けて検討せざるを得なくなったが、特定非営利法人となれば残余財産の引き継ぎが可能とわか り、理事全員の承認を経て、平成25(2012)年7月8日、NPO法人板垣会の認可を得た。会の目的 は同一であるが、「板垣伯の精神を今後の民主国家建設のため今日の若い青少年に伝え活動する事が 大切である」という設立趣旨書に基づき、定款に諸事業を具体的に列記して再スタートした。 会報発行も事業のひとつであり、今後、定期的に毎年刊行したい。また会員の増強をはかり、 活動を活発化し、坂本龍馬に匹敵する評価を得たいものである。 特定非営利活動法人 板垣会 役員
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平成30年7月16日百回忌法要 高野寺 | 社員総会サンライズホテル |